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5/7(mon,) 2018

なんだか急に寒い。五月半ばに突然気温の低い日があるのって以前から感じているんだけど、なんとなく苦手。身体的にも精神的にも振り回される感じで落ち着かない。

どう云うわけかこのところブコウスキーを読み返している。ここ数日は「くそったれ少年時代」。ひとことで云ってしまえば、ヒドい内容。若い頃は半ば面白がって読めたけれど、今読むとどうしてここまで露悪的じゃなきゃならないのか?とも思う。でもこの人の真骨頂はキラキラとした「本当のこと」が露悪の中に練り込まれているところ。表面的なところを掬って読むことをゆるさない、ちゃんと味わって読めよと云われているようだ。こういう物云いは幾つかの作品を思い出す。ブレヒトの「三文オペラ」、ランボーの「地獄の一季」、芥川龍之介の「歯車」などを。何かを知るために放蕩の限りを尽くすようなスタイルはなんとなく「いま現在」には見かけなくなったもののように思える。変な云い方かも知れないけど、すごく「無駄が多い」感じが暢気に思えるからかも知れないな。でもとても面白いと思うけれど。

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5/8(tue,) 2018

明日のライブに備えて、ここ数日は濱田多聞さんの曲を練習している。10曲分、一通りのアレンジは決めたのだけど、すぐに間違えてしまってなかなかうまくいかない。演奏しながら歌詞に聴き入ってしまう所為で自分が何を弾くはずだったか分からなくなってしまう。濱田さんは仙台から出向いてくださるので、なんとかがんばらなくてはね。

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5/9(wed,) 2018

と云うわけで、今日は下北沢leteにて「ギターはわらっている vol.6」。僕は濱田多聞さんの弾き語りに参加させてもらいました。濱田さんは国内屈指のソングライターに違いなく、心に響きまくる名曲の数々を一緒に演奏させてもらって大変光栄でした。しかしやはりいきなりの本番では思うように弾けなかったところも多く心残りがあるので、是非また再挑戦させてほしいと思いました。

メインアクトは神田さやかさんにお願いしました。神田さんの小さな風のようなギターとその風に揺らめく草の葉のような歌。そのささやかな響きに耳をすますと、とんでもなく大きな揺らぎのようなものを感じました。とても静かな演奏によって、静寂の中に聴き手の集中力を引きつける見事な音楽と言葉に感動しました。

もう少し理屈っぽく云うと、アクセントに工夫を凝らした細かなギターのアルペジオ、開放弦をうまく使った広がりのある響き、メロディ(言葉)を少しずつ軸をズラすように乗せていく手法は、ちょっとジョアン・シルベルトを生で聴いた時の印象を思い出しました(否、もちろんもっと現代的だけども)。拍の基本軸をキープしたままメロディの位置を動かすのって難易度が高い。でも出来てしまうと曲がとても立体的になるし、神田さんは言葉の選び方も巧みなので曲が物語を伴った広がりのあるものに感じました。

それにしても、版で付いたような平べったいお決まり感から逸脱出来る技術って本当にスゴい。音楽をしている人は大抵皆その為に修練を積んでいると云ってもいいと思う。その手法は様々だけれども。でもこう云う理屈っぽい捉え方ってあまり意味がないとも思うんだよな。現したい事、やりたい事に発想と技術が結びつけば最強なわけで、やりたい事だけがあっても技術だけがあっても意味がないのは僕なんかがわざわざ云わなくたって、誰でも知ってる事なので。

話がちょっと横道に逸れてしまったけど、濱田さんも神田さんも本当に素晴らしくて、出演してもらえてとても嬉しかったです。聴きに来てくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。

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5/10(thu,) 2018

ここ数日は大きな静物画を描いている。早く完成させなくてはいけないのだけどまだ数日かかりそう。でも焦っても失敗するだけで、早く出来るってことはないので焦りません。

最近絵を描く時に気に入ってよく聴いているのがLeonore Boulangerの「FEIGEN FEIGEN」フランスの伝統的?と云ってもいいようなヘンテコ音楽。なんでフランスにはこう云う感じの奇妙な音楽が多いのだろう。20代の頃によく聴いたクリンペライを思い出すけど、もっと複雑で奥行き感がある。パスカル・コムラードほど親しみ易い情感はなくて、捉えどころがない。うまく云えないんだけど、絵を描く時にちょうどいい感じなんだよね。たぶんあまり音楽音楽していないからかも知れないな。

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5/11(fri,) 2018

雨はあがったけど今日もわりと涼しい。とても単純な新しい曲が2曲出来た。最近は作った曲がよい曲なのかどうか?なんて考えない。出来ただけで嬉しい。絵もそうだ。以前のようによい絵が描きたいとは思っていない。ちゃんと最後まで描き上げることが出来たらそれだけで嬉しい。僕はもう「終わっている」のだろうか?始まった覚えもないのだから終わるもクソもないのだが。

以前の自分にとって音楽を作ったり絵を描いたりするのは、いずれ裏切られると分かっている相手を無理矢理信じようとするのに似ていた。今の自分は去った相手を未練がましく想っているのに似ているのかも知れない。誤解がないように付け加えたいのだけど、自己憐憫ってのは最悪だと思う。僕はただ好きな事をして来ただけだ。

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