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10/5(thu,) 2017

ポコペンさんは曲を作り始めると、うんうん唸ったまま部屋に閉じ篭って、数日苦闘し続けます。途中で出来たから聴いてくれと云われておとなしく聴いてるんですが、「やっぱダメだ」とか云ってまた閉じ篭ります。それを2~3回繰り返してようやく本当に完成します。

「もう今回は遺作かと思ったわよ〜」と毎回云っています。
「曲を作ってる時の苦悩ぶりだけはベートーベン並なんだけどね〜」
と云っています。

気持ちは僕もよく分かります。僕は締め切りがないと焦って完成させようとしない為、曲に関してはたいした曲でもないのに2~3年放っておいて考えたりするので閉じ篭って一気に作る事はあまりないのですが、絵は締め切りや展示の搬入が迫っていたりすると焦らざるを得ないので引き蘢ります。寝ている間も夢の中で絵具をこねくりまわして、ダメだ〜、どうしてもヘンな色になってしまう、とか悩んでいたりします。そして「よい状態」にスッポリハマってしまった間は何があっても応答しません。電話も来客もメールも全部無視です。こう云う時のテンションだけはゴッホ並なんだけどな〜とか思います。

「悩むだけなら才能は要らないわけよね?」
「まったくその通りだと思うよ」

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10/6(fri,) 2017

昨年末まで住んでいた狛江の駅前のコンビニの店員の兄ちゃんの事を時々思い出す。過剰に愛想がよく文字通り笑った顔のお面を被ったかのように同じ笑顔が張り付いている。接客応答は淀みなく滑らかで、「いらっしゃいませ〜、はい、かしこまりました〜、ありがとうございました〜、またのご来店をお待ちしています〜」と明るい声色で朗々と話す。時々起こるイレギュラーな事態にも動じる事はなく、釣り銭を間違えたりしても「まことに申し訳ございません、教えてくださりありがとうございます〜」と流れるように応答して客をさばいている。

スゴいな、人ってここまで閉じた状態になれるのか。おそらく人間的な感情のスイッチを切って接客ロボットのスイッチを入れているのだ。接客業はストレスの多い仕事なので大抵の人はそうするとは思う。僕も20代半ば〜後半までコンビニでバイトしていたから分かるつもり。でも普通は人間的な「隙」もちゃんと残した状態だと思うんだけど、この兄ちゃんはその「隙」が全然ない。仕事としては完璧にこなしているものの、この兄ちゃんの「過剰さ」はたぶん誰の目にも奇妙に映る。だからこうやって思い出してしまう。仕事中いかに奇妙であっても、仕事が終わって家に帰ればリラックスした楽しい時間があるならいいけどな、と余計な心配までしてしまう。

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10/7(sat,) 2017

本日は吉祥寺Liltにてsakanaのライブ。隅々まで気持ちの行き届いた心地良い空間は、窓枠に切り取られた外の景色も含めてとても端正。ひっそりと楽しく全18曲を演奏させてもらいました。

演奏前後に流れていたBGMがとても素敵だったけど誰なのか訊きそびれてしまったな。ポコペンさんは楽しく歌ったみたいでご機嫌でした。聴きに来てくださった皆さん、お世話になった皆さん、どうもありがとうございました。以下セットリストになります。

1.バウンティフリー
2.たとえば
3.モナ
4.夜
5.暗くなるまで
6.スカイ
7.花束
8.ジニア

休憩

9.スマイル
10.ウィークエンド
11.アンジェリケ
12.カンパネルラ
13.緑のベル
14.コーピアスシャワー
15.ルピナス
16.ロッキンチェア

enc,
1.ミスマホガニーブラウン
2.新曲ワルツ

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10/8(sun,) 2017

突然ポコペンさんに訊かれる。

「ガッキーって知ってる?」
「知らない」
「え〜!知らないの?国民的人気者だよ、私も大好きなんだけどね」
「ふ〜ん、昔のキムタクみたいな?」
「あ〜、、女の人だけどね」
「女の人でガッキーって云うと厳ついマニアックな感じがするけど?」
「違うよ、超キャッチー」

と云うわけで、画像検索すればたくさん出て来る。でもこう云う芸能人っていっぱい居るよなって感じでいまいち分からない。やっぱり動いてるとこ見ないと分かんないよね?でもそこまでの探究心はなくて動画検索には至らなかった。

それにしてもポコペンさんは昔から男女問わず分かり易い人気者が好きだ。僕はテレビを見ないので俳優やら人気者芸能人やらがさっぱり分からない。ポコペンさんはテレビ好きなのでYouTubeでテレビ番組の動画を探しては観ている(ウチにはテレビがないので)。

「今時ガッキー知らないなんてヤバいよ、って云うか別にもう最近の人ってわけじゃないからね、だから『最近の芸能人は分からなくて』とかトンチンカンな事人前で云っちゃダメだよ」「うん、分かったよ」

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10/9(mon,) 2017

以前にも書いた事があるけど、僕は20代の頃、時には年間に1000枚以上の絵を描いた。もちろんその中の1枚も売れなかったし、誰かに頼まれて描いたものも1枚もなかった。同じ頃、誰に頼まれたわけでもないのに、毎日1~2曲ずつ曲を作っていた。年間で400曲近く作っていたのだと思う。云うまでもなく絵も曲もダメなものが殆どだったと思うけど、それにしてもよく作ったなとは思う。溜まりに溜った絵と曲を録音したカセットテープは引っ越しの際に殆ど捨ててしまって残っていない。捨てる時「自分はこうやって一生ゴミを生産しつづけるのかな〜?」とぼんやり思った覚えがある。若い頃は大抵、興味の大半が自分自身と自分が特別に関心を抱いている相手に向いている。そんな過剰な自意識を持て余して、音楽や絵に没頭したかったのだろうか?

話しは変わって、ちょっと前にネットで見知らぬ音楽ファンが書いたこんな記事を読んだ。ライブハウスなどに集まる音楽ファンの多くは何か「不測の事態」が起こる事を期待しているのだと云う。良い演奏、良い音楽を期待する面もあるが、それより何かトラブルが起きて演奏が中断されたり、明らかな失敗をするところを期待して足を運んでいる人が多いのだと、その記事には書いてあった。

今時はそんな事の為に金を払う人はあまり居ない気もするけど、ライブハウスに人が集まるのは音楽を鑑賞する為だけではなく、何か「事件」を目撃、体感、する為だと云う側面は昔からあると思う。そう云う事を若い時にしっかり見据えている人は、素っ裸で動物の内蔵を撒き散らしたりするのが有効なのを知っているのだ。

人がゾッとするような痛々しい心情を吐露するように歌う人が人の関心を集めているのも音楽鑑賞よりは事件目撃の方に近い心理かも知れない。そう云う事を分かって提供している側の人は本当に聡いなと思うのだけど、反面退屈だろうなとも思う。過剰な自意識は、客観的になった時点で自意識でも過剰でもなくなってしまうから。

何かの「為に」と云う目的を持たない事に没頭出来るのは、やっぱり心の作用だと思うのだよね。若い頃「そうなり易い」のは若者の特権だから、若い頃から「そこ」を利用する事を覚えてしまったらとても退屈だろうなと思うんだよね。ニルヴァーナとか聴くとそう思う。カート・コバーンは聡い人だったのだろうけど、自分ではもっとバカになりたかったんだろうな。

云うまでもなくsakanaはバカだ。だから今でも楽しく音楽をしていられる。30年以上も続けているけれど、いつまで出来るか分からないとずっと思っている。どんなに無能でもやっていられるけど、退屈だと思ったらやめるしかない。だから思い通りにならない事は多い方がいいなと思う。

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